『幸せである』という状態と、『幸せを感じる』という事は別だ
たぶん大半の人が子供の頃に知る 当たり前のことを子供の頃に感じないと人生苦労する。
客観的に見て『幸せである』という事の、いちばんの例はお金持ちであるという事だろう。だれもがわかりやす。
主観的に見て『幸せを感じる』という事の、いちばんの例は
たとえば、冷蔵庫にプリンが入っているのを忘れて、なにか食べるものないかなぁと探したら
冷蔵庫の中に大好きなプリンが入っているのを発見することだ。
もちろん、これは、大好きなケーキでもいいし、大好きなビールでもいいだろう。
『幸せである』という事は、事実であり、静的な状態である。
対して、『幸せを感じる』という事は、現象であり、動的なイベントである。
たとえ、『幸せである』という状態であったとしても、『幸せを感じる』イベントが少なければ、その人は主観的には不幸だと感じるだろう。
逆に、客観的には、『幸せである』という状態ではなかったとしても(たかだか日本の中で考えるとして)
『幸せを感じる』イベントが毎日に沢山あれば、その人は主観的には幸福だと感じるだろう。
こんな、プリン1個ケーキ1個で学べるような単純なことは子供の頃に学んでおくべきことである。
しかし、いろんな事情によって学べないことがある。
そうすると人は『幸せを感じる』イベントではなく、客観的な『幸せである』という状態を求めてしまう。
だがそれは、プリンを食べようとして、プリンの写真を眺めるようなものである。
何が言いたいか? さっき、冷蔵庫を開けたら、プリンが入っていたのだ。